日記

鋭利な光が貫き美しく輝いていたそれはあっという間に汚れてしまい鈍くその存在を辛うじて主張するほどの存在へと成り下がった。光にかざしてもかつての輝きは蘇らない。大方のものはそれがかつてあったかも定かでなくなるくらいあっさりとくすみ、消えていく。遠くへ、できるだけ遠くへ、放物線を描いて消えたゴミ。遠浅の海が、何度もこちらを振り返りながら、さよならを唱えている。

日記

何もしたくないから何もしないのだ。そこに意味はない。現在の私に意味のあることは何もできない。何もしないことに意味は見出せない。或る人が或る正しさに立脚して生きていること、そしてそれを周囲に求めることを認知はできるがそれに対して私は意味を見出さない。そうですか。そうですね。私は帰りたいので帰ります。私は帰らないと自我と身体の乖離に耐えられず気が狂いそうになるので帰ります。人は理解しない。受け入れない。私は怠け者。私は帰る。そこには何の意味もない。

 

追伸

唯一の救いは、何かをしなければならないという呪縛から、20数年振りに解放されたことのみである。

日記

或る数日の私はというとまるで頭上から錆びた鉛の溶けたものを浴びせられたかの如く、頭は重く視界は不明瞭で粘度の高い不快感が四肢に纏わりつきそれは湿気の故であると頭を掠めもしたが1秒後にはそのようなことはどうでも良くなっているという有り様であり、精神を自宅のベッドに置いてきぼりにしたまま身体だけを不自然に職場に運んでいるというような感覚で日々を過ごしていた。

 

兎にも角にも心がここにないものだから一つとして現在を生きているという感覚が無くさながら時空間での幽体離脱、それでも最低限やらなくてはならない仕事はこなせるのだから人間は強いというか習慣は強いというか、そのことは私に僅かばかりの虚しい自信をもたらしたがやはりそんなことは1秒後にはどうでもよくなり、帰ってよろしいとなったタイミングで私は職場を後にする。

 

急に雨になったり曇りになったり、かと思えば気まぐれに晴れたりするものだから遅れてきた春の天気は醜い。夜は空虚に抱かれて眠る。否、空虚というよりかは、何もない白い空間を、始点も終点もなく歩かされているような絶望感である。

 

ある瞬間私は自らの手に諦めのようなものが握らされていることに気付く。それは透明色の、角が丸められたガラス破片のようなものであった。透明な諦めは美しかった。覗き込むと、曖昧な私と、向こうの世界があった。

 

日差しが強かった。木々の間から漏れる光が、風に応えて消えたり顕れたりしている。空にそれをかざしてみると、乱反射した光が内部に滞留し輝いた。それを形容する言葉は、希望であるのだろうか。