日記

或る数日の私はというとまるで頭上から錆びた鉛の溶けたものを浴びせられたかの如く、頭は重く視界は不明瞭で粘度の高い不快感が四肢に纏わりつきそれは湿気の故であると頭を掠めもしたが1秒後にはそのようなことはどうでも良くなっているという有り様であり、精神を自宅のベッドに置いてきぼりにしたまま身体だけを不自然に職場に運んでいるというような感覚で日々を過ごしていた。

 

兎にも角にも心がここにないものだから一つとして現在を生きているという感覚が無くさながら時空間での幽体離脱、それでも最低限やらなくてはならない仕事はこなせるのだから人間は強いというか習慣は強いというか、そのことは私に僅かばかりの虚しい自信をもたらしたがやはりそんなことは1秒後にはどうでもよくなり、帰ってよろしいとなったタイミングで私は職場を後にする。

 

急に雨になったり曇りになったり、かと思えば気まぐれに晴れたりするものだから遅れてきた春の天気は醜い。夜は空虚に抱かれて眠る。否、空虚というよりかは、何もない白い空間を、始点も終点もなく歩かされているような絶望感である。

 

ある瞬間私は自らの手に諦めのようなものが握らされていることに気付く。それは透明色の、角が丸められたガラス破片のようなものであった。透明な諦めは美しかった。覗き込むと、曖昧な私と、向こうの世界があった。

 

日差しが強かった。木々の間から漏れる光が、風に応えて消えたり顕れたりしている。空にそれをかざしてみると、乱反射した光が内部に滞留し輝いた。それを形容する言葉は、希望であるのだろうか。